高山寺について
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歴史(年表)
西暦 (和暦) |
事項 |
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774 宝亀5 | 光仁天皇の勅願により高山寺開創、神願寺都賀尾坊と称する |
814 弘仁5 | 神願寺都賀尾坊より、都賀尾十無尽院と改称する。 |
1173 承安3 | 正月八日、明恵が紀州有田郡石垣庄吉原村に誕生。 |
1181 養和1 | 明恵、九歳にて神護寺に入山。 |
1188 文治4 | 明恵、上覚について出家得度、僧名成弁(後に高弁)。 |
1190 建久1 | 明恵、遺教経を発見、持経とし、また上覚より十八道を伝受。 |
1191 建久2 | 明恵、この頃より仏眼仏母尊を本尊とし仏眼の法を修め、『夢記』を書き始める(五十八歳まで続く)。 |
1193 建久4 | 明恵、華厳宗興隆のため東大寺に出仕。 |
1195 建久6 | 明恵、高雄を出て紀州白上峰に居する。 |
1201 建仁1 | 明恵、糸野に移り、以後三年間十余人の同行(喜海、霊典等)と共に一宗の学業に励む。 |
1202 建仁2 | 明恵、糸野に於て上覚より伝法灌頂を受け、保田星尾に移る。 |
1204 元久1 | 四月、明恵、神谷に移り、九月、槇尾に住する。 |
1206 建永1 | 明恵、後鳥羽院院宣により栂尾十無尽院を賜わり、華厳宗興隆の根本道場と定め、 後鳥羽院より「日出先照高山之寺」の勅額を賜い、高山 |
1216 建保4 | 石水院の建立。 |
1218 建保6 | 明恵、栂尾より本尊釈如来(快慶作)等を携えて賀茂の別所に移る。その後栂尾に還住。 |
1219 承久1 | 栂尾高山寺に金堂・鐘楼等の落慶。 |
1224 元仁1 | 明恵、楞伽山の峰に蟄居し、偏に坐禅入観を勤とする。 |
1225 嘉禄1 | 八月、白光・善妙神像が奉納される。 |
1228 安貞2 | 石水院、水難により禅堂院に移す。 |
1229 寛喜1 | 阿弥陀堂建立、西経蔵を造営する。この時鎮守社を宝殿の西山傍に移す。その後三加禅の庵室を営む。 |
1230 寛喜2 | 三加禅を禅堂院の一廓に移し、禅河院とする。 |
1232 寛喜4 | 明恵、高山寺置文を定める。明恵、正月十九日、禅堂院にて示寂。 |
1235 文暦2 | 石水院に春日・住吉両明神を奉安。 |
1244 寛元2 | 明恵上人一三回忌供養、導師喜海。 |
1467~75頃 応仁・文明頃 | 山名軍、高山寺を占拠する。 |
1547 天文16 | 金堂・一三重宝塔等伽藍のほとんどを兵火にて焼失。 |
1634 寛永11 | 秀融・永弁らにより、仁和寺古御堂を移建し、高山寺金堂復興。 |
1636 寛永13 | この頃、秀融・永弁により開山堂復興。 |
1648~52 慶安年間 | この頃、永弁、塔頭十無尽院を復興。 |
1717 享保2 | 御廟・開山堂・禅堂院・塔頭宝性院等を焼失。 |
1723 享保8 | 禅堂院焼失のあとへ新しく開山堂を再建、次いで御廟再建。 |
1830~43 天保年間 | この頃、慧友、全山堂坊修築、及び一山の記録・聖教・什宝類の調査整理をなす。 |
1831 天保2 | 慧友、明恵上人六百年遠忌に華厳三昧を十七日修する。 |
1868 明治1 | この頃、華厳宗本山高山寺と称する。 |
1872 明治5 | 真言宗所轄となる。 |
1889 明治22 | 石水院を旧三尊院跡の現在地へ移建する。 |
1931 昭和6 | 一月十九日、覚了、明恵上人七百年遠忌を勤める。茶室遺香庵を新築する。 |
1966 昭和41 | 文部省より寺域を史跡に指定され、単立寺院となる。 |
1969 昭和44 | 法鼓台道場が建設される。 |
1986 昭和61 | イタリアアッシジの聖フランシスコ教会とブラザーチャーチの約束を結ぶ。 |
1994 平成6 | 世界文化遺産に登録される。 |